キューバ

メジャーリーグの世界

キューバのすべて

       ~キューバ
キューバは1492年10月27日、クリストファー・コロンブスの第一次航海で「発見」された。


当時、島にはタイノもしくはアラワクと呼ばれる先住民がいましたが、1511年スペインのベラスケスが率いる遠征隊によって征服され、植民地化が進むとスペイン人による虐待や強制労働、疫病によってそのほとんどが絶滅したとされています。

スペイン人によるキューバの植民地化は同時に砂糖産業、奴隷産業を盛んにし、インディオの悲劇とは別に、キューバはスペインと中南米の中継地点として著しく発展を遂げました。


19世紀初め、それまでスペインの専売だった葉巻の販売が自由化されると、キューバは大規模な奴隷制砂糖プランテーション産業が興り、19世紀半ばには世界最大の砂糖生産地となりました。

砂糖に加えて、葉巻の通商でも富を得るようになりましたが、同時に、1830年代からスペインの支配者が次第に抑圧的となり、キューバ国内の入植者の間では次第に独立の気運が高まり、一時キューバのアメリカ編入を目指す運動も起きました。


独立闘争は1868年に始まり、1878年には一旦スペインと休戦、しかし、1895年からはホセ・マルティらの指導による独立闘争が再発し、1898年のスペイン・アメリカ戦争(米西戦争)によるアメリカの介入まで続きました。


アメリカの勝利により、キューバはアメリカの軍政を経て、1902年5月20日に400年に及ぶスペイン支配から解放され独立を勝ち取りました。


ただし、それは形式的なもので、同時にアメリカによる支配の始まりでもありました。


同年、キューバ国憲法に盛り込まれたプラット修正条項(Platt Amendment)には、アメリカの内政干渉権、グァンタナモ、バイア・オンダの二箇所にアメリカの軍事基地を置くなどが盛り込まれ、実質的にはアメリカの統治下におかれました。


「独立」後、キューバにはアメリカ資本が数多く進出し、精糖産業など多くの資源産業をアメリカ企業が支配しました。


また、政治家の不正が度重なって生じたことで、キューバの現状に対する国民の不満はより深化していきました。


このような国民の不満は、はやくも1906年に反乱行為として結実し、1909年までキューバはアメリカ軍の管理下に入らざるを得ない状況が続きました。


また、1912年にも反乱が発生し、アメリカが介入する事態となりました。


その後も、キューバではクーデターの発生や相次ぐ政変により、1930年代まで政治的な不安定期が続き、そのため、アメリカもプラット修正条項を廃棄(海軍基地設置の条項は除外)するなど、キューバの秩序維持に努めざるを得ませんでした。


不安定な政治状況は、1933年から政治の主役を演じていたフルヘンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista)が、1936年に政権の実権を握ったことで一定の安定を見せ、キューバ政府が社会経済の改革計画を実行できるまでになりました。


そして、1940年になると、バティスタの大統領就任と新憲法の公布により、ようやくキューバでは政治的緊張が緩和されました。


1944年の総選挙でバティスタが敗北した後、キューバは国際連合設立(1945年)や米州機構設立(1948年)に参加しました。


しかし一方で、国内では砂糖の国際価格の不安定化とインフレ問題が重要課題として浮上し、政府が有効対策をとれなかったことで、社会不安が拡大しました。


1952年にバティスタはクーデターで政権を奪取し、憲法を停止した上で独裁政治を開始しました。


これにより、アメリカのキューバ支配は頂点に達し、バティスタ政権とアメリカ政府、アメリカ企業、アメリカマフィアの4者がキューバの富を独占し、その富がアメリカ本土に流れるような社会構造が形成されました。


1953年7月26日に、このようなアメリカによる半植民地状態の克服を夢見て、弁護士フィデル・カストロ(Fidel Castro Ruz)率いる青年たちが蜂起(モンカダ兵営襲撃)したが失敗に終わり、関係者は投獄されました。


1954年にバティスタは形式のみの信任選挙で再選を果たし、1955年の大統領就任と同時に憲法に基く統治を復活させ、カストロらの政治犯に恩赦を与えました。


カストロは、恩赦によって出獄すると反政府組織「7月26日運動(M26)」を結成、同志とともにメキシコに亡命しました。


その後、砂糖の国際価格の安定により、キューバ経済の状況は改善されたが、バティスタの独裁体制は継続され続けられました。


メキシコ亡命後、カストロらはその地でアルゼンチン人医師のチェ・ゲバラ(Ernesto "Che" Guevara Lynch)と出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後、1956年12月にヨット「グランマ」号にのってキューバに上陸しました。


その際、政府軍の攻撃でカストロらは壊滅的打撃を受けましたが、シエラ・マエストラ山脈を拠点として政府軍へ2年余りのゲリラ闘争を行った末、1959年1月1日にバティスタを国外逃亡に追い込みました。


これにより革命政権が誕生しましたが、その際に革命政権は、発足後、数週間の内に軍事法廷で旧バティスタ政権関係者を裁き、およそ550人を処刑しました。


その後、2月半ばにカストロが首相職に就任すると、革命政権は一連の農地改革法を実施し、砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れ始めました。


また、精糖業などでアメリカ資本に握られていた土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進しました。


この過程で、中・上流階級の多数の人々がアメリカなどへ亡命しました。


バティスタ政権という傀儡政権を失ったアメリカは、革命政権とは別の政権樹立に向けた動きを見せていましたが、1959年5月から革命政権が実施した徹底的な農地改革に直面したことで、革命政権を敵視するにいたりました。


おりからの冷戦による米ソ対立の影響を受け、アメリカに敵視された革命政権はソ連に接近し、1960年にソ連と正式な外交関係を結びました。


アメリカ政府との対立が決定的になると、キューバ政府は国内からのアメリカ企業の排除に努め、アメリカ資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行・商業・工業の大企業を国有化しました。


1961年、アメリカ政府はキューバとの外交関係を断絶し、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止しました。


そして、アメリカの支援と訓練を受けた亡命キューバ人の反革命軍をキューバ南部のピッグス湾に侵攻させましたが、反革命軍は撃退されて目標を果たせませんでした(ピッグス湾事件)。


1962年2月3日にアメリカのケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を行うと発表しました。


同年、キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、核戦争の危機となりましたが、米ソの妥協で危機を回避する事態が起きました(キューバ危機)。


これにより、アメリカとキューバの関係は一気に悪化しましたが、1965年にアメリカとキューバは、キューバ人のアメリカ移住を認めることで合意し、1973年までに26万人以上がキューバを去りました。


なおアメリカは、1903年にグァンタナモ湾を租借した契約を縦に、現在に至るまでグアンタナモにアメリカ軍の基地を置き続けています。











公用語 スペイン語

首都   ハバナ

最大の都市 ハバナ

面積   世界第103位
      総計   110,860km²
      水面積率 極僅か

独立           スペインより
日付           1821年9月15日


通貨     キューバ・ペソ
         兌換ペソ(CUC)












2006ワールドベースボールクラシック代表

背番号 氏名 投 打
所属球団(当時)


投手
4 デニス・スアレス 右
インダストリアレス


16 アディエル・パルマ 左
シエンフエーゴス


19 オルマリ・ロメロ 右
サンティアーゴ・デ・クーバ


23 ビショアンドリ・オデリン 右
カマグエイ


26 ルイス・ボロト 右
ビーリャ・クララ


32 ノルベルト・ゴンサレス 左
シエンフエーゴス


48 ユリエスキ・ゴンサレス 左
ラ・アバナ


58 ホンデル・マルティネス 右
ラ・アバナ


62 ヤディエル・ペドロソ 右 右
ラ・アバナ


79 マイケル・フォルク 左
シエーゴ・デ・アビラ


81 ヨスバニー・ペレス 左
シエンフエーゴス


90 ヤデル・マルティ 右
インダストリアレス
大会ベストナイン(投手)


97 ユニエスキ・マヤ 右 右
ピナール・デル・リオ


99 ペドロ・ルイス・ラソ 右
ピナール・デル・リオ


捕手
8 アリエル・ペスタノ 右 右
ビーリャ・クララ


51 エリエル・サンチェス 右 右
サンクティ・スピリトゥス


61 ロヘル・マチャド 右 右
シエーゴ・デ・アビラ


内野手
2 エドゥアルド・パレ 右 右 遊撃手
ビーリャ・クララ


10 ユリエスキ・グリエル 右 右 三塁手
サンクティ・スピリトゥス
大会ベストナイン(二塁手)


11 ルディ・レジェス 右 右 二塁手
インダストリアレス


12 ミチェル・エンリケス 右 右 三塁手
イスラ・ラ・フベントゥ


14 ホアン・カルロス・ペドロソ 右 右 一塁手
ラス・トゥーナス


42 フアン・カルロス・モレノ 右 右 遊撃手
イスラ・ラ・フベントゥ


53 アリエル・ボレロ 左 左 一塁手
ビーリャ・クララ


54 レスリエ・アンデルソン 左 左 一塁手
カマグエイ


外野手
21 アレクセイ・ラミレス 右 右
ピナール・デル・リオ


24 フレデリク・セペダ 右 両
サンクティ・スピリトゥス


31 ヨアンディ・ガルロボ 右 右
マサンタス
大会ベストナイン(指名打者)


46 オスマニー・ウルティア 右 右
ラス・トゥーナス


56 カルロス・タバレス 右 右
インダストリアレス






TOP>キューバ




TOP~メジャーリーグの世界

ア・リーグ東地区
 ボルティモア・オリオールズ
 ボストン・レッドソックス
 ニューヨーク・ヤンキース
 タンパベイ・レイズ
 トロント・ブルージェイズ

ア・リーグ中地区
 シカゴ・ホワイトソックス
 クリーブランド・インディアンス
 デトロイト・タイガース
 カンザスシティ・ロイヤルズ
 ミネソタ・ツインズ

ア・リーグ西地区
 ロサンゼルス・エンジェルス
 オークランド・アスレチックス
 シアトル・マリナーズ
 テキサス・レンジャーズ


ナ・リーグ東地区
 アトランタ・ブレーブス
 フロリダ・マーリンズ
 ニューヨーク・メッツ
 フィラデルフィア・フィリーズ
 ワシントン・ナショナルズ

ナ・リーグ中地区
 シカゴ・カブス
 シンシナティ・レッズ
 ヒューストン・アストロズ
 ミルウォーキー・ブルワーズ
 ピッツバーグ・パイレーツ
 セントルイス・カージナルス

ナ・リーグ西地区
 アリゾナ・ダイヤモンドバックス
 コロラド・ロッキーズ
 ロサンゼルス・ドジャース
 サンディエゴ・パドレス
 サンフランシスコ・ジャイアンツ



野球を愛する人のためのリンク集


ワールドベースボールクラシック
 日本
 韓国
 チャイニーズタイペイ
 中国
 アメリカ合衆国
 カナダ
 メキシコ
 南アフリカ共和国
 プエルトリコ
 キューバ
 パナマ
 オランダ
 ドミニカ共和国
 ベネズエラ
 オーストラリア
 イタリア


日本の文化
 日本文学
 
 日本料理
 和服・着物
 茶道
 すごろく(双六)
 こま(独楽)
 
 おりがみ(折り紙)
 尺八


 エアロビクス
 アーチェリー
 陸上競技
 バドミントン
 バスケットボール
 ビリヤード
 ブーメラン
 ボウリング
 カヌー
 自転車
 ダンス
 ダーツ
 ダイビング
 馬術
 フェンシング
 釣り(フィッシング)
 フットサル
 ゴルフ
 体操
 ハンドボール
 ホッケー
 競馬
 カバディ
 マウンテンボード
 オリエンテーリング
 アウトドア
 ペタンク
 パワーリフティング
 なわとび(縄跳び)
 セパタクロー
 スキー
 スノーボード
 サッカー
 サーフィン
 水泳
 卓球
 トレーニング
 バレーボール


管理人プロフィール


管理人へのメール [email protected]
Copyright (C)  メジャーリーグの世界~メジャーリーグのすべて All Rights Reserved