日本

メジャーリーグの世界

日本のすべて

          ~日本
日本」という国号が成立したのは701年前後と推定されています。


『隋書』、『旧唐書』、『新唐書』などに記された遣隋使の報告によれば、倭国と日本国は別の国であり、併合して日本国となりました。


平安時代の貴族の会話[要出典]の中で、日本国が中国に対して「日の本」すなわち東方にあることをもって日本としたと説明されており、畿内においては東方の飛鳥地方を日本(ひのもと)と呼び、更には朝廷から東方にある関東地方や東北地方を長らく「日本」と呼んでいたことからも、この説が妥当であるとする見解があります。


ただし、景行期に東海地方以東の蝦夷の国を「日高見国」と呼んでいたことから反論も根強く、日本国号の起源について未だに定説は見られていません。


朝廷は8世紀から拡大策を強め、東北の蝦夷や九州の隼人などを服従させることにより、徐々に拡大を続けました。


これ以後の主な対外戦争には、白村江の戦い、刀伊の入寇、元の蒙古襲来、応永の外寇、文禄・慶長の役などがあります。


この間に「日本」と呼ばれる地理的領域は北上し、日本は東北沿岸から津軽、更には北海道東部のアイヌ部族の呼称として移動していきました。


またモンゴル帝国において、ようやく大和朝廷の対外的呼称が「日本」に固定されるようになり、権力者層に次第に日本意識・日本人意識が貫かれるようになりました。


18世紀になると、シャクシャインの乱やロシア帝国との接触で北方への関心が強まり、アイヌおよびロシアへの他者意識として日本観・日本人観が江戸の庶民に定着していきました。


これに応じて日本の指す領域は南下し、アイヌ居住地である蝦夷ガ島(北海道)以南が日本と意識されるようになりました。


19世紀になるとアメリカ合衆国始めヨーロッパ各国への他者意識として日本観・日本人観がいよいよ定着し、現代の日本観・日本人観にほぼ一致するようになりました。


19世紀半ば以降、欧米列強の国家形態に触発される形で、天皇を中心とした近代国家を創出しようという試みがおこり、朝廷、幕府、藩によって分割統治されていた時代が終焉、近代的な意味での「日本国」が成立しました。


明治維新と呼ばれる近代化政策が実行され、1871年の廃藩置県と翌1872年の琉球処分を通じて、ほぼ現在の領土が確定しました。


さらに大日本帝国憲法を日本人自身の手で書き上げ、1889年に施行され、翌1890年に二院制からなる議会政治を作り上げました。


その後、日清戦争と日露戦争に勝利しました。
20世紀前半には台湾や朝鮮半島を併合しました。


第一次世界大戦では連合国側として参戦、南洋諸島の委任統治を行いました。


大戦後の自由な空気の中で、様々な政治的改革も試みられ、普通選挙の実施、政党内閣の慣例化など大正デモクラシーと呼ばれる政治運動が起こりました。


1930年代になると社会の動揺から、軍部の発言力が増大し、満州事変を通じて事実上の傀儡政権として満州国(中国東北部)が建国されると、大陸との摩擦が深まり、ついには日中戦争へと発展しました。


日本軍は東南アジアのほぼ全域にまで進出し、外交においては既に欧州において始まっていた第二次世界大戦の枢軸国側と協調しました。


結果、米国を中心とする連合国と決定的に対立、太平洋戦争(閣議決定では、支那事変(日中戦争)を含め対米英戦争を大東亜戦争と呼称すると決定した)へと発展しました。


1945年に連合国のポツダム宣言を受諾。無条件降伏を受け入れ第二次世界大戦は日本をはじめとする枢軸国の敗北で終結しました。


戦場となった地域の多くでは多数の民間人が犠牲となり、日本の国土も首都東京を始め空襲により焦土と化しました。


また、この際、広島と長崎に原子爆弾が使用されています。敗れた日本は、それまで拡大した領土の大半を失い、アメリカ合衆国を中心とする連合国軍の占領下に置かれました。


文字通り各国の総力戦となったこの戦争の遂行過程で様々な戦争犯罪があったとされ、現在も世界中で様々な議論を呼んでいます。


第二次世界大戦後の日本は、軍国主義の否定によって再出発しました。その拠り所が日本国憲法です。


日本国憲法は1946年11月3日に大日本帝国憲法を改正する形で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のもとに公布され、1947年5月3日施行されました。


日本国憲法では、天皇を国の統合の象徴とすることや主権が国民にある立憲民主制国家として再生させること及び、紛争の解決手段としての戦力の保持および交戦権を放棄することなどが示され、国号も日本国と改めました。


1950年に隣国朝鮮半島で、朝鮮戦争が勃発しました。


GHQの指示により、警察予備隊(後の自衛隊)が設立され、事実上の再軍備の道を辿りました。


1951年にサンフランシスコ平和条約を締結し、日本と連合国は講和しました。


1952年4月28日、日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の発効により占領は終了し、独立を回復しました。


独立回復後の日本はその基本理念として一切の軍国主義を否定し、アメリカ合衆国とは同盟関係を結びました。


1955年に、保守政党である日本民主党と自由党が合同し55年体制のもとで長期安定政権を確立しました。


その後、日本は高度経済成長を迎え、経済は驚異的な勢いで発展しました。


東京オリンピックや日本万国博覧会の開催は、戦後の日本が国際社会に復帰することの象徴にもなりました。


1968年、1972年には日本の領土とされながらも、施政権を喪失していた小笠原諸島と沖縄の施政権が米国から返還されました。


現在では、発展途上国のための支援ODAなどを行い、世界の平和や相互理解に一定の役割を果たすまでになりました。


近年は先進国として国際紛争解決のために国連平和維持軍の一員として、日本が軍隊派遣をするかどうかが議論の対象となっています。


しかし現在の日本国憲法下では軍事力の放棄が記されていることなどのため、自衛隊の派遣については日本国内で賛否が分かれています。


現在は憲法改正の動きなども見られ、活発な議論が行われています。


1999年8月13日に国旗及び国歌に関する法律(通称:国旗・国歌法)で、国旗は日章旗(通称:日の丸)、国歌は君が代と定められました。











公用語 日本語
      

首都   東京


最大の都市 東京

面積   世界第60位
      総計    377,835km²
      水面積率 0.8%

建国   紀元前660年2月11日


通貨    円(JPY)










日本の歴史厳選リンク


日本の旅厳選リンク


日本厳選リンク





2006ワールドベースボールクラシック代表

氏名
背番号 所属球団(当時)
成績


※は全試合にスタメン出場した選手

監督
王貞治
(89・福岡ソフトバンクホークス監督兼GM)


コーチ
武田一浩投手コーチ
(84・元読売ジャイアンツ)


辻発彦内野守備走塁コーチ
(85・元横浜ベイスターズコーチ)


鹿取義隆投手コーチ
(86・元読売ジャイアンツコーチ)


大島康徳打撃コーチ
(87・前日本ハムファイターズ監督)


弘田澄男外野守備走塁コーチ
(88・元読売ジャイアンツコーチ)


投手
清水直行
(11・千葉ロッテマリーンズ)
2試合 1S 防御率4.15


藤田宗一
(12・千葉ロッテマリーンズ)
3試合 防御率9.00


久保田智之
(15・阪神タイガース)
登板機会なし


松坂大輔
(18・西武ライオンズ)
3試合 3勝 防御率1.38
大会MVP


上原浩治
(19・読売ジャイアンツ)
3試合 2勝 防御率1.59


薮田安彦
(20・千葉ロッテマリーンズ)
4試合 防御率2.08


和田毅
(21・福岡ソフトバンクホークス)
1試合 防御率0.00


藤川球児
(24・阪神タイガース)
4試合 1敗 防御率0.00


渡辺俊介
(31・千葉ロッテマリーンズ)
3試合 防御率1.98


大塚晶則
(40・テキサス・レンジャーズ)
5試合 1S 防御率1.59


小林宏之
(41・千葉ロッテマリーンズ)
1試合 防御率18.0


杉内俊哉
(47・福岡ソフトバンクホークス)
2試合 1敗 防御率5.40


石井弘寿
(61・東京ヤクルトスワローズ)
1試合 1敗 防御率27.0


馬原孝浩
(61・福岡ソフトバンクホークス)
登板機会なし


捕手
里崎智也
(22・千葉ロッテマリーンズ)
8試合 1本塁打 5打点 打率.409
大会ベストナイン(捕手)


谷繁元信
(27・中日ドラゴンズ)
2試合 打率.000


相川亮二
(59・横浜ベイスターズ)
1試合 打率.500


内野手
岩村明憲
(1・東京ヤクルトスワローズ)
6試合 3打点 2盗塁 打率.389


※ 小笠原道大
(2・北海道日本ハムファイターズ)
8試合 7打点 打率.231


※ 松中信彦
(3・福岡ソフトバンクホークス)
8試合 2打点 打率.433


※ 西岡剛
(7・千葉ロッテマリーンズ)
8試合 2本塁打 8打点 5盗塁 打率.355


今江敏晃
(8・千葉ロッテマリーンズ)
5試合 4打点 打率.200


宮本慎也
(10・東京ヤクルトスワローズ)
3試合 2打点 打率.667


新井貴浩
(25・広島東洋カープ)
2試合 打率.333


※ 川﨑宗則
(52・福岡ソフトバンクホークス)
8試合 1本塁打 5打点 2盗塁 打率.259
決勝で右ひじを故障し、途中交代


外野手
和田一浩
(5・西武ライオンズ)
2試合 打率.000


※ 多村仁
(6・横浜ベイスターズ)
8試合 3本塁打 9打点 打率.259


金城龍彦
(9・横浜ベイスターズ)
5試合 打率.200


福留孝介
(17・中日ドラゴンズ)
8試合 2本塁打 6打点 打率.182


青木宣親
(23・東京ヤクルトスワローズ)
6試合 1打点 打率.200


※ イチロー
(51・シアトル・マリナーズ)
8試合 1本塁打 5打点 4盗塁 打率.364
大会ベストナイン(外野手)


不参加を表明した選手
松井秀喜外野手(ニューヨーク・ヤンキース)
日本代表の4番候補だったが、
1か月近くの態度保留を経て、
2005年12月27日に出場辞退を発表。


井口資仁内野手(シカゴ・ホワイトソックス)
2006年1月7日、当初は参加に
意欲的だったが松井の後を追うように
一転して出場を辞退。
井口はWBC出場表明後に
テキサス・レンジャーズに
トレードされていた大塚晶則に対しても
「出場したいけど、厳しい」と話していたことを
マスコミの前で伝え、
大塚も辞退かと報道されたが、
大塚は既にWBC.incに
出場合意のサインをしていたため、
球団側の働きかけは受け入れられず、
大塚の希望どおりに出場が決定した。


荒木雅博(中日ドラゴンズ)


井端弘和(中日ドラゴンズ)
目のレーシック手術を受けたため


阿部慎之助(読売ジャイアンツ)
前年からの肩痛のため


黒田博樹(広島東洋カープ)
大会直前の怪我により
TOP>日本



TOP~メジャーリーグの世界

ア・リーグ東地区
 ボルティモア・オリオールズ
 ボストン・レッドソックス
 ニューヨーク・ヤンキース
 タンパベイ・レイズ
 トロント・ブルージェイズ

ア・リーグ中地区
 シカゴ・ホワイトソックス
 クリーブランド・インディアンス
 デトロイト・タイガース
 カンザスシティ・ロイヤルズ
 ミネソタ・ツインズ

ア・リーグ西地区
 ロサンゼルス・エンジェルス
 オークランド・アスレチックス
 シアトル・マリナーズ
 テキサス・レンジャーズ


ナ・リーグ東地区
 アトランタ・ブレーブス
 フロリダ・マーリンズ
 ニューヨーク・メッツ
 フィラデルフィア・フィリーズ
 ワシントン・ナショナルズ

ナ・リーグ中地区
 シカゴ・カブス
 シンシナティ・レッズ
 ヒューストン・アストロズ
 ミルウォーキー・ブルワーズ
 ピッツバーグ・パイレーツ
 セントルイス・カージナルス

ナ・リーグ西地区
 アリゾナ・ダイヤモンドバックス
 コロラド・ロッキーズ
 ロサンゼルス・ドジャース
 サンディエゴ・パドレス
 サンフランシスコ・ジャイアンツ



野球を愛する人のためのリンク集


ワールドベースボールクラシック
 日本
 韓国
 チャイニーズタイペイ
 中国
 アメリカ合衆国
 カナダ
 メキシコ
 南アフリカ共和国
 プエルトリコ
 キューバ
 パナマ
 オランダ
 ドミニカ共和国
 ベネズエラ
 オーストラリア
 イタリア


日本の文化
 日本文学
 
 日本料理
 和服・着物
 茶道
 すごろく(双六)
 こま(独楽)
 
 おりがみ(折り紙)
 尺八


 エアロビクス
 アーチェリー
 陸上競技
 バドミントン
 バスケットボール
 ビリヤード
 ブーメラン
 ボウリング
 カヌー
 自転車
 ダンス
 ダーツ
 ダイビング
 馬術
 フェンシング
 釣り(フィッシング)
 フットサル
 ゴルフ
 体操
 ハンドボール
 ホッケー
 競馬
 カバディ
 マウンテンボード
 オリエンテーリング
 アウトドア
 ペタンク
 パワーリフティング
 なわとび(縄跳び)
 セパタクロー
 スキー
 スノーボード
 サッカー
 サーフィン
 水泳
 卓球
 トレーニング
 バレーボール


管理人プロフィール



管理人へのメール [email protected]
Copyright (C)  メジャーリーグの世界~メジャーリーグのすべて All Rights Reserved